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正義と平和リポート改定入管法問題について
正義と平和担当

今から五〇万年ほど昔、神さまはアフリカで、最初のホモ・サピエンス、アダムをお創りになった。アダムは土から創られたため、肌は美しい褐色に耀いていた。 人が一人でいるのはよくないと、イブをお創りになった。二人はエデンの園で幸せに暮していたが、ある日、禁断の木の実を食べたため、楽園を追われてしまった。 人類史でいうところの出アフリカーそして欧州、アジア、アメリカ大陸へと、拡散の旅が始まった。移住移動の生活は、知恵もつ人間の哀しい定めなのかも。 そして各地の自然環境に適応していくうち、褐色に耀いていた肌は徐々に色落ちし、白い人、黄色い人に分岐していった。五万年前のことらしい。 神さまも驚かれたに違いない。褐色のアダムから、いつのまにか色とりどりの人間が増えちゃった!おまけに天まで届けとばかり高い塔をせっせっと築いてる! 天下無敵の向こう見ずな人間たちを危惧された神さまは、互いのことばを通じなくされてしまった。多人種多言語。バベルの塔の崩壊とともに、入管問題は始まった。 (注・ここまでの内容に学術的根拠はありません。悪しからず)

我々はもとは一つの人種、ひとつの言語で生きていた。外国というものが無かった。国という概念がなかったのだから。

人種と言語の違いは、人々の間に境界を生み、国境ができた。国境の外にいる人は、外国人だ。外国人、皆いい人ばかりとは限らない。 人をさらって商売するかもしれない、国をのっとるかもしれない、新品のスカイツリーを爆破するかもしれないー外国人は当然にして、入国の権利を有さずというのが、世界の常識だ。

今回改定された入管法の目的は、不良外国人を水際で排除し、国内での不法行為を防ぐために管理を細分化することにある。 簡単な話、自分の家の敷地内に、何の用があるのか告げられないまま、見ず知らずの他人が自由に出入りして平気という人がいるだろうか。 外国人だからというのではない。国内でも住所不定の者は警戒されるし、保護の対象となる。 放浪生活が赦されるのは山下清と水戸のご老公くらいだ。皆がよく知っている人、皆に自分をよく知らせてくれる人、敷地内のルールを尊守してくれる人なら安心。 特に最近の無縁社会にあっては、敷地内にいる人間でも、見知らぬ異邦人のようなことがあるのだから。問題は、管理の方法が、人権問題に抵触する時だろう。

確かに日本人は過去に、在留外国人に対して、恥ずべき非人道的なふるまいがあった。それは同胞に対してもそうではなかったか。 日本人ばかりでない、世界がそうであったし、今も人種差別はある。精神レベルが低いとしかいいようがない。

人種などというものは元々無いこと、言語は色々あれど、心はひとつであること、心の境界さえ無くせば、入管問題はいとも簡単に解決することがみえてくる。 ローマは三日でできたが、神の国は三千年かかるかもしれない。それも神さまからみれば三日だ。何年かかってもよい。バベルの塔の崩壊のトラウマは、必ず克服できると信じて、この問題、見守っていきたい。

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