不安の中に強められる信仰
アルベルト神父
皆さん主の平和 復活祭が近づいています。私たちが知っている通り復活は喜びの出来事であるのです。しかし、今回はその喜びの印象は少し変わると思います。 コロナウイルスの影響でミサや色々な集いなどは中止されています。日本だけではなく、全世界のカトリック教会は同じ問題に直面しています。 ある国では聖週間の間に教会ですべての活動を中止し、ミサはオンラインで行うと決まりました。 広島教区で状況の判断に従って、今までミサや活動などを中止するかどうかは各教会の司祭と評議会員に任せております。 そして、コロナウイルスは本当に危ないですが、コロナウイルスの影響で人間の信仰が強められることもあると私は個人的に思っています。 なぜかというと、コロナウイルスの感染の大変さに気づくにつれて、人間も自分の弱さに気づいたからです。 コロナウイルスは人々の身分の違いを超えて、誰でも感染の恐れがあるのです。それで、何もすることができない状況の中でたちまち多くの人が祈りの大切さに気付きました。 祈ったからといって必ずコロナウイルスの感染がなくなるとは言えませんが、多くの人は祈りを通して生きる力を得ました。 特に家族と離れた人たちは祈りしかできません。コロナウイルスのせいで多くの人が苦しんでいるのです。 それにしても、イエス様は復活の栄光を得るために苦しみの道を辿ったように、すべての信じる人も自分の苦しみをイエス様の苦しみに合わせるべきだと思います。そうすれば、歩む力を得るはずだと思います。 最後に2020年3月20日に久保司祭と私の司祭叙階式が世界平和記念聖堂で行われました。 実は最初にその司祭叙階式のスケジュールを計画した時、コロナウイルスはまだ出ていませんでした。 その大きなイベントに参加するために私の家族はインドネシアから来る予定でした。 しかし、残念ながら、途中で2月の終わりくらいにコロナウイルスの感染が広がっていて、世界中で大きな不安を起こしたことで、私の家族は司祭叙階式に参加することができなかったのです。 少し悲しかったですが、多くの人が集まって、祈る様子を見て、すごくうれしく思いました。 特に倉敷ブロックの三教会の皆さんたちが私のためにたくさん祈って、支えてくださることは私にとって本当に喜びの源であるのです。 皆さんが神様の恵みに満ち、導かれるように祈っております。 復活祭の後に私は岡山教会に移動します。皆さんとの一年半の歩みの思い出は心に残り、歩む力となりました。 私のために祈りを続けてください。どうぞよろしくお願いいたします。 |