愛と喜びに生きる
レイモンド神父
ある日のカトリック新聞に、「愛と喜びに生きる」と題された文章を見つけました。まず初めに皆さんに質問してみましょう。 皆さんは、神様が与えてくださっている日々を愛と喜びのうちに過ごしているでしょうか。今過ごしている生活は不幸ですか、幸せですか。 愛と喜びは繋がっています。どちらかが無ければ成立しません。 神が与えてくださる命を愛するなら、喜びのうちに生きています。 神様はご自分の民である私たちに喜びの命を与えてくださるので、私たちはそれを大切に愛すべきなのです。 聖書と、私たちの中で優れている兄弟姉妹のインスピレーションによって、私たちの人生の真の意味を見出すことができます。 今、私たちがよく歌っている答唱詩編を思い出した。「幸せな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人」典礼聖歌の99番です。 この詩篇は「愛と喜びに生きる」に関わっています。命は神の恵みです。神がご自分にかたどって人間を創造し、息を吹きかけました。 神は人の命のうちに生きています。最初から主である神は人が幸いに生きるために、必要なものを人に与えました。 アダムとエバが神の掟を破る以前、二人は楽園で幸せに生きていました。神が、必要なすべてのものを彼らに与えてくださったからです。 アダムとエバは神の掟を破りましたが、神は人々に喜びを与えることを忘れずに、ご自分の独り子を送って新たな契約を作ってくださいました。 その新たな契約によって、弱い人間である私たちは神が私たちを愛しておられることに確信を取り戻しました。 主イエスが私たちを新たな契約に入らせたのは、私たちが愛と喜びに生きるためです。 「悩み悲しんでいる人々に喜びを、悪霊に取りつかれている人に解放を、病人に癒しを、福音をすべての人に告げ知らせる。」主イエスの行いを見た人々は驚いて言いました「神がご自分の民を訪れた。 私たちに偉大な預言者が来た。彼がなさることはすべて素晴らしい。」喜びに生きるといっても、日常生活は幸せなことばかりとは言えません。 何故なら、人生には良い時もあれば良くない時もあるからです。 良くないことが起きても、私たちは喜びに生きるエネルギーを無くしてはならない、私たちのそばに、勇気と力を与え、新たな喜びに生きる力を与えてくださる方がおられるからです。 それは私たちを救うために命を捧げた主イエスにほかありません。主イエスをおいて愛と喜びに生きることはできません。 「主はわれらの牧者、私は乏しいことがない。」もし、私たちが心の中に主イエスを抱くなら、心配することはありません。 彼が、私たちの手に負えないことや人生の足りない部分を完成してくださるからです。 また、この記事を読んでくださっている信徒の皆さんにお願いがあります。 眠っているのではなく、生き生きと、自分の大好きな歌を聞きながら、読んでいただきたいと思います。 私は「VIVA la VIVA, 生きている、いいね」とういう歌を聞き、神に感謝をしながら、書きました。使徒パウロが素晴らしい励ましの言葉を書いてくれました。 「いつも、喜びなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの使徒への手紙 5・18) 私たちと同じように人生の苦しみ、辛さなどの経験をしたパウロが、こんな言葉を書いてくれたのです。何と癒されることでしょう。人生は一度限りで、毎秒ごとに喜びで満たされて生きるのは最高だと思います。 そして、豊かな命、人生のエネルギーを与えてくださった神に私たちはもっと感謝するべきです。いつも喜びなさい。 |