日々の祈りを通して神のみ旨に従って生きる
ロイ神父
祈りは、キリスト者にとってなぜ重要なのでしょうか。祈りは何のためにするのでしょうか。キリスト者が祈りを怠る理由は何でしょうか。 祈りによって本当にキリストにつながっていれば霊的な成長が出来るでしょう。祈りは神様との対話です。祈りとは私たちが御父に向かって、賛美・感謝・礼拝し、願うことです。 祈りには二つの目的があります。
私たちは、まず、第一に、毎日の糧を願うのではなく、み名が聖とされますように、御国が来ますように、すなわち私たちはすべて神の栄光を現わすためにします。 神のみ旨を探し求めます。いつも祈りをすることを大切にし、何よりも神様の栄光を表すことになります。そして、景色を見て、自然の美しさを感じること。 毎日の出来事を通して、平穏に過ごせたことなどを賛美し、感謝します。 次に、神様はわたしたちのすべてをご存知です。ですから、日常の糧、ならびに必要な恵みを願います。 イエス様は宣教なさった時、人々が困っていた時(病を癒し、悪霊を追い出すことなど)に助けて下さいました。 御父はイエス様を通して私たちに恵みを与える方だからです。今、必要な恵みのみならず、永遠の命をも与えて下さる方だからです。 ですから、私たちは神様の慈しみに信頼して、必要なことを願いましょう。そのようにするなら、私たちは悪に打ち勝ち、また神様の御旨にそって、生きることが出来るようになります。 イエス様が弟子たちに次のように教えて下さっています。「私を離れては、あなたがたは何も出来ないからである」(ヨハネ15・5‐6)つまり、私たちの力だけでは、何一つできないのです。 また、イエス様は次のように述べられています。「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」(マタイ16・24)つまり、私たちの日常生活の苦難を受け入れ、それを乗り越えることです。 その時、私たちは神様の助けを願い求めます。神様が私たちの苦しみを贖って下さいますように。 イエス様は人類の罪を背負うために十字架上で私たちの罪を負って下さいました。 御父に向かって、「父よ、御心なら、この杯を私から取り除いて下さい。しかし、私の願いではなく、御心のままに行って下さい。」(ルカ22・42)と祈られました。 この祈りは祈りの模範者として、自分の意志によるものではなく、御父の御旨に従ってなされました。 このように、祈りの時に大切なことは御父の御旨に添って祈ることです。祈りは神様との対話です。 素直な子供が、父親に何でも喜んで話すように、私達も天の父なる神様に、何でもお話しましょう。 「主よ、あなたは全てを知っておられる。」(詩編139・4b)「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ。」(マタイ6・8)ですから、 自分をとりつくろったり、「こんなことを神様に祈ってはいけないのではないか」と心配したりせず、自分のありのままの思いを神様のみ前に申し上げるのが良いのです。 小さなこと、一見つまらないようなことでも、何でも具体的に神様にお話しすることです。私たちがイエス様の弟子であることを示すあの「主の祈り」を心を込めて毎日祈りましょう。 日々、祈りを通して福音の価値を生きることが出来、私たちの全ての祈りが神様の栄光を表すことができますように。 |